ミッチェル・ジェームズ・リッチモンド3世 (Mitchell James Richmond III, 1965年6月30日 - ) は、アメリカ合衆国・フロリダ州フォートローダーデール出身の元プロバスケットボール選手。1988年から2002年まで14シーズンNBAでプレーした。ポジションはシューティングガード。

キャリア

カンザス州立大学から1988年のNBAドラフトで1巡目全体5位でゴールデンステート・ウォリアーズから指名された。平均22.0得点、4.2アシスト、5.2リバウンドを記録し、新人王を受賞。1990年代に入る頃には、クリス・マリンとリッチモンド、ティム・ハーダウェイの3人はランTMC(3人のファーストネーム、ティム(T)、ミッチ(M)、クリス(C))と呼ばれ、それぞれがシーズン平均20得点以上を上げた。3人の能力とドン・ネルソンヘッドコーチの速攻重視の戦術により、ウォリアーズはリーグで最も得点力の高いチームになっていた。1991年にサクラメント・キングスにビリー・オーウェンスとの交換でトレードされた。

キングスには1991-1998年所属。この頃のキングスはドアマットチームでリッチモンドは常に平均21得点以上したがチームの成績は上がらなかった。個人としての活躍は素晴らしく、95年のNBAオールスターゲームでMVPを受賞。96年にはドリームチームIIIに選ばれた。

1998年のオフにオーティス・ソープと共に、クリス・ウェバーとの交換でワシントン・ウィザーズにトレードされた。ウィザーズでのリッチモンドは欠場する試合が増えて期待されたほどの成績は残せなかった。

2001年にはロサンゼルス・レイカーズに移籍、年齢的な衰えはあったもののリッチモンドは初のNBAファイナル優勝を果たして引退した。

アメリカ代表

  • 1988年ソウルオリンピックで銅メダルを獲得。
  • 1996年アトランタオリンピックで金メダルを獲得。

プレイスタイル

シューティングガードとして必要な要素を兼ね備えた非常に安定したプレーができた選手で、特にジャンプシュート、3ポイントシュート、ドライブインとコートのどこからでも決められるスコアリング能力は特筆すべきものである。ディフェンスも安定して欠点のない選手だがチームが勝てないことで目立たない選手だった。ルーキーから10年連続1試合平均21得点以上をマークした4選手の一人。リッチモンドのルーキー時代を見たマイケル・ジョーダンは「得点能力に関しては僕を超えることが出来るセンスを持っている。」と太鼓判を押し、後の活躍を予言した。

個人成績

NBA

レギュラーシーズン

プレーオフ

成績

  • 976試合出場
  • 20,497得点
  • 3,801リバウンド
  • 3,398アシスト
  • 1,211スティール
  • FG成功率.497
  • FT成功率.850
  • 新人王(1989)
  • オールNBA2ndチーム 3回(94、95、97)
  • オールNBA3rdチーム 2回(96、98)
  • オールルーキー1stチーム(89)
  • オールスターMVP 1回(95)
  • 優勝経験1回(2002)

外部リンク

  • ミッチ・リッチモンド(英語)
  • 選手の通算成績と情報 NBA、Basketball-Reference、Eurobasket、RealGM

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