1960年アメリカグランプリ (1960 United States Grand Prix) は、1960年のF1世界選手権第10戦(最終戦)として、1960年11月20日にリバーサイド・インターナショナル・レースウェイで開催された。
1954年以来続いた最大排気量2.5Lのエンジン規定は、本レースが最後となった。
レース概要
F1世界選手権におけるアメリカGPの開催は2回目で、舞台は前年のセブリング・インターナショナル・レースウェイ(フロリダ州)からカリフォルニア州のリバーサイド・インターナショナル・レースウェイに移された。
フェラーリは本レースを欠場したため、フィル・ヒルはBRP(ヨーマン・クレジット・レーシングチーム)から、ヴォルフガング・フォン・トリップスはスクーデリア・セントロ・スッドから出場した。フランスGP以来の出場となった地元アメリカのスカラブはマシンの改良作業を行い本レースに臨んだ。
レースはジャック・ブラバムとダン・ガーニーが好スタートを切り、ポールポジションのスターリング・モスは3位に後退したが、1周目でガーニーを抜いて2位に上がり、5周目からトップを奪い返してからは独走で快勝した。序盤奮闘したガーニーはリタイアに終わり無得点でシーズンを終え、チームメイトのヨアキム・ボニエも中盤から終盤まで2位を走行していたが5位に終わり、BRMは年間を通して信頼性の低さを露呈した。スカラブのチャック・デイも奮闘したが10位完走が精一杯で、創設者のランス・リヴェントロウはレースへの情熱を失いF1から去った。
本レースに訪れた観客の中には当時アメリカに留学中だった18歳の浮谷東次郎もいた。
本レースで披露されたシボレーのミッドシップ研究開発のための実験車「CERV I」をモスが試走した。
エントリーリスト
- 追記
- タイヤは全車ダンロップ
- ^1 - エントリーしたが出場せず
結果
予選
決勝
- ラップリーダー
- ジャック・ブラバム (1-4)、スターリング・モス (5-75)
ランキング
- 注: トップ5のみ表示。ベスト6戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
参照文献
- 林信次『F1全史 1956-1960』ニューズ出版、1999年。ISBN 4-938495-27-9。
外部リンク
- STATS F1




