1998年のJリーグは、3月21日に開幕、11月14日にリーグ戦の日程を終了し、11月21日・11月28日にチャンピオンシップが行われた。優勝は1stステージがジュビロ磐田、2ndステージが鹿島アントラーズで、チャンピオンシップにより決定された年間総合優勝は鹿島アントラーズ

参加クラブ

1998年シーズンのJリーグのクラブは以下の通り。昨シーズンのジャパンフットボールリーグで準会員かつ上位2位までに入ったコンサドーレ札幌が新たに加わり、計18クラブとなった。

※前年成績=1997年のJリーグの前後期通算順位を記載

レギュレーションの変更点

参加クラブ数が再び偶数となったため、全クラブが毎節試合を行い、1回戦総当たり(17節)×2ステージの全306試合が行われた。試合開催方式そのものの変更点はない。

翌シーズンから新たにリーグを2部制とし、Jリーグ ディビジョン1(J1)を16クラブとするため、シーズン終了後にJ1参入決定戦が行われた。

スケジュール

1998 FIFAワールドカップ開催により、1stステージ第12節の5月9日から第13節の7月25日までの期間、インターバルが設けられた。

リーグ概要

1stステージは第13節終了時点で磐田・清水・川崎・鹿島・横浜Mの5チームが勝ち点で並ぶという混戦状態になり、そこから4連勝で締めくくった磐田と清水が抜け出し、最終的に得失点の差で磐田がステージ優勝。2ndステージは第10節終了時点で鹿島・磐田・浦和・横浜M・名古屋の5チームが勝ち点差2の中にひしめく状況となり、そこから連勝で抜け出した鹿島と磐田の一騎討ちとなる。第15節で両チームが直接対決し、鹿島がマジーニョのゴールを守り切って勝利。第5節から10連勝で磐田を振り切ってステージ優勝を果たした。

一方、2ndステージ終盤の10月29日、横浜Mと横浜Fの合併が報じられ、同日のJリーグ理事会で承認される。横浜Fの親会社である佐藤工業が経営難からクラブ運営からの撤退を表明、もう一社の親会社である全日本空輸が単体でのクラブ運営に難色を示し、これに対して横浜Mの親会社である日産自動車が救済の手をさしのべたものであるが、地域密着を掲げて誕生したJリーグが皮肉にも実業団同様に親会社の論理で合併(事実上の消滅)となる事態となった。この日以後、横浜Fはリーグ戦4連勝で締めくくり、最終順位は2ndステージ・年間勝ち点とも7位であった。

また、この年の年間勝ち点での下位3クラブは市原・神戸・福岡であったが、J1参入決定戦のレギュレーションの結果、J2参入(事実上の降格)となったのは年間14位の札幌であった。年間勝ち点の下位クラブが残留し、それよりも上位のクラブが降格する事例はこの年のみである。

なお、札幌は本来の本拠地である札幌厚別公園競技場の改修工事のため、第1ステージは主に室蘭市入江運動公園陸上競技場を本拠地にした。また、横浜市の2チームの本拠地が従来の三ツ沢公園球技場に加え横浜国際総合競技場も登録される。

この年よりCS放送の放映をジュピターテレコム運営J SPORTSに完全移行。この年開局のディレクTV(サッカーTV・イレブン)にもサブライセンスして全試合をカバーするようになる。

順位表

  • 以下の順位表において、勝利数・敗戦数はいずれも90分での勝利数・敗戦数を示す。

1stステージ

開催期間:3月21日 - 8月8日

2ndステージ

開催期間:8月22日 - 11月14日

年間総合順位

上位2チームの順位はJリーグチャンピオンシップの結果により確定する。

最終更新は1998年11月14日の試合終了時
出典: Jリーグ公式サイト および Jリーグ公式サイト
順位の決定基準: 1. 勝点; 2. 得失点差; 3. 得点数.
1 1997年シーズンと1998年シーズンの総合成績で決定。J1参入決定戦#順位ポイントの付け方参照。

チャンピオンシップ

Jリーグチャンピオンシップについてはサントリーが冠スポンサーとなり、サントリー・チャンピオンシップの名称で開催された。




合計スコアが4-2となり、鹿島アントラーズが年間王者に決定。

テレビ中継
  • 第1レグ・第2レグとも NHK総合テレビジョン

J1参入決定戦

J1参入決定戦は、当初1997年シーズンと1998年シーズンの成績をポイント化した下位5チームと、ジャパンフットボールリーグ所属のJリーグ準会員2チームで行われる予定であったが、横浜フリューゲルスが消滅し、ブランメル仙台が参入戦参加資格を得られる成績をおさめられなかったため、Jリーグ下位4チームとJリーグ準会員1チームによって争われた。

この結果、市原・神戸・福岡がJリーグ ディビジョン1へ、札幌・川崎のJリーグ ディビジョン2へ参加が決定。

表彰

ベストイレブン

得点ランキング

出典: J.LEAGUE Data Site

記録

  • Jリーグ通算5,000ゴール
バジーリオ(柏、1998年9月23日 - 2ndステージ第7節vs札幌・札幌厚別公園競技場)
  • 個人連続ハットトリック試合(4試合) ギネス記録
中山雅史(磐田 1stステージ第6節vsC大阪 - 第9節vs札幌、4試合の得点は5・4・4・3の16得点)
  • 個人連続得点試合(8試合)
フリオ・サリナス(横浜M 1997年2ndステージ第11節vs横浜F - 1998年1stステージ第1節vs横浜F、8試合の得点は2・1・1・1・1・1・1・1)
  • Jリーグ最年少出場記録
阿部勇樹(市原・16歳と333日、1998年8月5日 - 1stステージ第16節vsガンバ大阪・万博記念競技場)

Jリーグ準会員

  • ブランメル仙台
  • 川崎フロンターレ
1998年のJFLの成績により、2位の川崎はJ1参入決定予備戦に進出。アビスパ福岡に敗れたため1999年のJ2リーグ加盟となった。また仙台は7位でおわり、J1参入決定戦進出に必要な2位以内確保ができなかったため自動的にJ2加盟となった。
なおこの年は新規の準会員申請を行ったクラブはなかった。

関連項目

  • 1998年のスポーツ
  • 1998年のJリーグカップ
  • J1参入決定戦
    • J1参入決定予備戦
  • 第78回天皇杯全日本サッカー選手権大会
  • アジアクラブ選手権1997-98

沿革 Jリーグについて 公益社団法人 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)

【公式】驚異的な勝負強さを示したシーズン。前年のリベンジを果たし、二度目の戴冠!【Jリーグヒストリー:1998年】:Jリーグ公式サイト(J

沿革 Jリーグについて 公益社団法人 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)

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1999年のJリーグ ディビジョン2 1999 J.League Division 2 JapaneseClass.jp