田中町(たなかまち)は、秋田県横手市の町。郵便番号は013-0024。人口は176人、世帯数は74世帯(2020年10月1日現在)。丁目の設定のない単独町名。住居表示実施済み地区。

地理

横手地域の中央部に位置し、東で四日町・鍛冶町、西で寿町、南で前郷一番町、北で中央町と隣接する。北端には二の堰(暗渠)が流れる。商店や飲食店が立ち並び、南西角には戦国時代に出羽国において勢力を誇った小野寺氏の菩提寺と言われる正平寺がある。

北端には富士見大通りが東西に横断しており、西端にはゆりのき通り、中央部にななかまど通り、東端にはけやき大通りが南北に縦貫する。

全域が都市計画区域に含まれるが、区域区分非設定区域となっている。都市計画法上の用途地域では全域が商業地域に指定されている。

歴史

横手川右岸の朝倉山(通称・お城山)に位置した横手城の城下町として栄えた地域で、現在も横手市の中心市街地の一角を成している。現在の田中町は横手川の左岸、商人や職人が住む「外町」に当たる地域で、江戸時代頃から城下町として形成されていった。外町を構成する町内の中では南西端に当たる。

現在の田中町に当たる地区は江戸時代には田中町正平寺町と言われた。二日町(現在の鍛冶町・四日町)の道を西に進むと正平寺山門に突き当たるが、その手前で右手に折れる道沿いを田中町(七軒町とも)といい、四日町上丁の西裏あたりで左側に折れる道沿いを正平寺町といった。1874年(明治7年)に柳町・大水戸町・馬口労町・田中町が合併して横手町大字横手町が誕生する前に正平寺町の地名は消えており、田中町の一部となっていた。

モータリゼーションの時代が到来すると、城下町特有の狭く曲がり角が多い横手の道路は車の通行に不便であったため、1937年(昭和12年)に決定した都市計画により、各地で土地区画整理事業が行われることになった。当地周辺でも「中央第一地区土地区画整理事業」として事業が進む中、隣接する中央町には大町から横手市役所本庁舎が移転してくることが決まり、町内において「コミュニティ・マート構想」なるものが浮上した。コミュニティ・マート構想では、新たに整備される本庁舎を核に、四日町・田中町の各商業施設ビルやそれらを結ぶペデストリアンデッキの設置などが計画されていたが、実現していない。

住居表示

住居表示に関する法律が施行された1962年5月10日以降、旧横手市内においても住居表示が進み、1965年より第一次から第五次にかけて実施された。本地域は第二次地区として1966年4月1日に実施され、現行の田中町はここで誕生した。

世帯数と人口

2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。

人口の推移

以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる。

交通

鉄道

鉄道駅はない。最寄り駅は■奥羽本線、■北上線の横手駅。

道路

  • 富士見大通り
  • ゆりのき通り
  • ななかまど通り
  • けやき大通り

施設

  • 正平寺
  • 秋田銀行 横手支店

脚注

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典5 秋田県』角川書店、1980年。 
  • 平凡社 編『秋田県の地名 日本歴史地名大系5』平凡社、1980年。 
  • 横手市史編さん委員会『横手市史 昭和編』横手市、1981年。 
  • 『商業近代化地域計画報告書 昭和61年度』日本商工会議所、1987年3月。 
  • 横手市 編『横手市史 通史編 近世』横手市、2010年。 
  • 横手市 編『横手市史 通史編 近現代』横手市、2011年。 

外部リンク

  • 横手市

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