マトゥリン(スペイン語: Maturín、スペイン語発音: [matuˈɾin])は、ベネズエラ北東部のモナガス州の州都。 2016年の人口は49万100人で、全国6位。 石油産業の中心地である。 オリノコ・デルタからグラン・サバナにかけて広がる。
人口
- 1981年10月20日:15万4976人
- 1990年10月21日:20万6654人
- 2001年10月21日:33万9936人
- 2011年10月30日:44万7283人
- 2016年6月30日:49万100人
歴史
1718年、スペインのアリオハ (Arrioja) 船長がグアラピチェ川周辺で暮らす先住民を虐殺した。 その際の先住民の指導者の名がマトゥリンだった。
1722年、インディアス総合古文書館の記録では、パブロ・オヘル (Pablo Ojer) 神父とフアン・デ・ラ・トルネラ・イ・ソタ (Juan de la Tornera y Sota) 知事がサン・フアン・デ・ラ・トルネラ・デ・マトゥリン (San Juan de la Tornera de Maturín) を建設した。
1760年12月7日、ベネズエラ歴史学会の記録では、フランシスコ会のルカス・デ・サラゴサ (Lucas de Zaragoza) がサン・フダス・タデオ・デ・マトゥリン (San Judas Tadeo de Maturín) に改名した。 彼は周辺に住むチャイマ人とワラオ人にカトリックを布教した。
1811年7月5日のベネズエラ独立宣言を受けて、新アンダルシア州の一部だったマトゥリンは独立軍に付いた。
1813年~1814年にかけて、アルト・デ・ロス・ゴドスの戦いを含む5回の戦いがマトゥリンで行われた。 これらの戦いで、マニュエル・ピアー率いる独立軍は、フアン・ドミンゴ・デ・モンテベルデ率いるスペイン軍を破った。 アントニオ・ホセ・デ・スクレやホセ・フランシスコ・ベルムデス、ホセ・タデオ・モナガス、ホセ・グレゴリオ・モナガス、ホセ・フェリックス・リーバスも独立軍に参加していた。 しかし、5回目のマトゥリンの戦いで独立軍は敗れ、マトゥリンはスペインに奪われ破壊された。
1816年、2年前の戦闘の生き残りがマトゥリンを再建した。
1856年~1859年、マトゥリン州の州都が置かれた。
19世紀には、内戦による人口・資産の減少や、マラリアと黄熱の流行によって成長は鈍かった。
1909年、新設されたモナガス州の州都になった。
20世紀に入ると、近郊で石油が発見された事と、医師による蚊の撲滅作戦が成功した事で、人口が急増した。
1958年、マトゥリン大司教区が置かれた。
地理
標高は67mで、首都カラカスから約520km離れている。 グアラピチェ川に面しており、カリブ海やオリノコ川に繋がっている。
気候
経済
ベネズエラ東部の最重要都市の1つである。 石油産業によって急成長したが、近年の経済危機の影響を強く受けている。
交通
- ホセ・タデオ・モナガス国際空港
教育
- サンチャゴ・マリニョ技術大学
- シモン・ロドリゲス国立実験
- 東部大学
- ベネズエラ・ボリバル大学
スポーツ
施設
- マトゥリン記念競技場
団体
- モナガス・スポーツ・クラブ:サッカー
脚注
外部リンク
- [1] (Spanish)
- [2] (Spanish)
- [3] (Spanish)




